日本バブル崩壊のきっかけ「プラザ合意」|なぜ日本は円高を受け入れたのか【前編】

日本バブル崩壊のきっかけ「プラザ合意」|なぜ日本は円高を受け入れたのか【前編】

貯金はしているが、このままで将来は大丈夫なのか。
投資は必要だと思うが、失敗して家族に影響が出るのが怖くて、結局「何もしない」まま時間だけが過ぎていく。

このような悩みを抱えている会社員は多くいます。

日本人がお金の判断に過度に慎重になった原因は、1980年代のバブルとその崩壊です。このバブルは1985年のプラザ合意を起点とした為替政策・金融政策の連鎖によって、論理的に起きたものでした。

  • なぜ円高を受け入れたのか
  • なぜ景気対策がバブルを生んだのか

この流れがわかると、今の日本経済で個人がどう資産形成と向き合うべきかが見えます。

そこで本記事では、金融知識や投資経験がない方でもわかるように、プラザ合意からバブル発生までを噛み砕いて解説します。

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目次

世界最強と呼ばれた日本経済の実態

1980年代前半、日本は世界でもっとも勢いのある経済大国のひとつでした。自動車や家電、半導体などの日本製品は世界中で売れ続けていました。

当時よく使われていた言葉が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」です。これは日本の経済力や技術力が世界一であると評価した言葉でした。

日本が強かった理由のひとつが、圧倒的な貿易黒字です。貿易黒字とは「輸出の金額 > 輸入の金額」となっている状態を指します。

つまり、日本は海外にたくさん物を売り、海外からはそれほど物を買っていなかった状況でした。

米国が抱えていた深刻な問題「双子の赤字」

1980年代前半の米国は双子の赤字という大きな問題を抱えていました。

双子の赤字は、国の借金が増え続ける「財政赤字」と海外との取引で赤字が続く「貿易赤字」が同時に進行している状態です。とくに深刻だったのが貿易赤字でした。

米国製品が売れなくなった原因はドル高です。ドルの価値が他国通貨に対して高いと、米国製品は海外で高く見えるが、日本製品は米国内で安く見える現象が起きます。

その結果、米国では日本製品がどんどん売れ、米国の工場は仕事を失っていきました。

社会問題へ発展した日米貿易摩擦

米国では失業が増え、工場が閉鎖され、不満が急速に高まっていきました。とくに打撃を受けたのが、五大湖周辺の工業地帯で、後にラストベルトと呼ばれる地域です。

ラストベルトの位置

ラストベルトは、かつて製造業で栄えたが、工場閉鎖が相次ぎ衰退した地域です。

1985年、デトロイトでは労働者が日本車をハンマーで壊す抗議活動まで起きました。そして経済問題は、完全に政治問題へと変わってきました。

極秘会合で決まった「プラザ合意」

米国が巨大な赤字貿易を改善させるために主導して開いたのが、1985年9月22日のプラザ合意です。参加したのは次の5ヵ国でした。

参加国役割
米国主導国
日本貿易黒字国
英国為替安定国
西ドイツ貿易黒字国
フランス欧州代表

この会合で決められたのが、各国が協力してドルを売り、円やマルクを買うという政策です。目的は意図的にドル安を進めることでした。日本にとっては円高を受け入れる合意だったといえます。

なぜ日本は円高を拒否できなかったのか

日本は円高になれば、輸出が不利になると理解していました。それでも合意を受け入れた理由は2つあります。

  1. 国際協調を優先する立場だった
  2. もっと厳しい制裁を避けたかった

1. 国際協調を優先する立場だった

1985年後半、日本は世界第2位の経済大国でした。米国の経済問題を無視すれば、国際社会で無責任な国と見なされる可能性があり、国際強調を優先せざる得ませんでした。

2. もっと厳しい制裁を避けたかった

もしプラザ合意を拒否していれば、米国は日本製品に高関税をかけるといった、強硬な貿易制限に踏み切る可能性が高かったと考えられます。そのため、日本は「円高を受け入れるほうが被害が小さい」と判断したのです。

急激に進んだ円高と円高不況

プラザ合意のあと、日本市場は一気に変化しました。

時期為替レート
1985年9月(合意前)1ドル ≒ 240円
1987年12月(合意後)1ドル ≒ 120円

合意から2年後には、円の価値が約2倍になりました。

これは同じ商品を売っても、円換算の売上は半分になることを意味し、輸出企業にとって極めて厳しい状況でした。(1ドル売ったら240円儲かっていたのが120円になった)

その結果、工場閉鎖や雇用削減、中小企業の倒産といった問題が相次ぎ、日本経済は円高不況に突入しました。

景気対策として選ばれた超低金利政策

景気の急激な悪化を受け、政府と日本銀行は強い危機感を抱きました。そこで実施されたのが超低金利政策です。1986年1月から1987年2月までの約1年間で、公定歩合は5回引き下げられ、2.5%まで低下しました。

金利が下がると、企業はお金を借りやすくなり、個人はローンを組みやすくなります。つまり、投資や消費が増えると期待されました。

しかし、この超低金利政策が大量の資金が不動産や株式に流れ込む原因となり、巨大なバブルを生み出す土壌を作ってしまいます。

まとめ

プラザ合意は、国際協調を優先した政治判断から始まりましたが、その後の政策対応が、日本経済を長期停滞へ導く結果となりました。

金融政策の判断ひとつで、物価や雇用、資産価値のすべてが大きく変わります。だからこそ、金融の仕組みを知らないまま資産形成を考えることは、とても危険です。

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監修者

1981年生まれ。2009年に保険業界へ転身し、2013年に証券外務員資格を取得。あいざわ証券・SBI証券のIFAとして活動後、2016年にエストニアで起業し金融商品仲介業を取得。2020年に日本でセミナー会社を設立、投資教育事業を展開。2023年、日本金融庁より投資助言業を正式に登録し、海外金融に携わり続けている。現在は全国・世界各地の個人投資家にアドバイスを行い、クライアント数は約10,000人にまで拡大。

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